今月の法話 平成27年12月

ひかりに願われ今日まで生きてこられた よろこびと共にこれからも歩んでいこう

仏教が説かれてあるのは言うまでもなく「経」です。お釈迦さまの説かれたことをお弟子の方々が、編纂し後世の人々の指針になるように書き集められたのです。八万四千の教えがあると言われているように、それは多岐にわたっています。教えが八万四千あると言われているのは、人間の悩みもそれだけあるということかもしれません。しかしどのお経にも、共通しているのは、私たち人間の苦しみ悩みの原因たるものを根本から解決していこうとする心であります。「正信偈」の中に「依修多羅顕真実」(経によって真実を顕わす)とあります。「修多羅」とは織物の縦糸のことです。縦糸を中心として横糸を編んでいきます。その事から縦糸を根本の教えとして真実を顕わすものとして「修多羅」は真実を顕わす「お経」の意味として使われます。

漢文で書かれてありますし、「お経」を理解しようとするのは難しいですね。私は、お経は言葉を読むのではなく、その心を読むものでないかと思っています。経は真実を顕すと言ってもなかなかわからないことばかりです。「お経」のことで次のような事を以前読みました。それはある新潟県に住む女子中学生の話であります。彼女の兄は重度の心身障害者であります。身体も不自由ですし口もきけません。彼女は学校で「お前の兄貴はバカなんだって」とさんざんからかわれます。彼女は憂鬱になり悲しくなり泣きながら家に帰って学校の出来事を母に訴えます。母親は「お母さんだって何度お兄ちゃんを抱いて川に飛び込もうと思ったか、しれないよ。 でもそんなことをしても、だれも幸福になりはしない。それよりもみんなでお兄ちゃんをしあわせにすることを考えようじゃない」と言います。母親の目にも涙がありました。

母親の話を聞いてからしばらくすると彼女は「私の家庭は日本一しあわせな家庭」という作文を書きます。その作文には次のようなことが書かれてありました。『身体のわるいお兄ちゃんを心配させないために、みんなで声を荒立てないように気をつかっています。だからわが家では一度も怒声が飛んだことがなく、みんないつもニコニコと笑っています。どんな辛いときでも笑っています。お兄ちゃんは、私たち家族の《お経》なのです。お兄ちゃんありがとう』 。

この「私たち家族のお経」という表現に、胸が熱くなる思いです。

家族の中に心身障害者いう深い悩みを抱えていながらもその事を逆手にとって家族が心を合わせて生きる中心としてこの兄の存在の意味を見いだす、何とすごいことなのでしょうか。 よろこびのある人生・家庭、考えさせられます。

ここまでくるまでの家族の心の葛藤の凄まじさを思うことです。仏教でも悩みを転じていくとか、又「煩悩即菩提」ということもよく言われます。理屈ではわかっていても愚痴ばかりがでる私であります。そんなちっぽけな私を打ち砕く働き、それが「お経」なのでしょう。

いつもの「私中心」から視座を変えてみる、それは縦糸たる修多羅(お経)を中心に真実に生きることに他なりません。


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