今月の法話 平成26年11月

いつの日も明日があるわけではない 今を精一杯生き抜く

人間の劣等感や様々なひずみは、よく弱者に向かっていきます。このようなことは特にバブルがはじけ、不景気になってきた一九九〇年ころより顕著になってきたようです。 好景気の頃は隠されてきたものが、不景気とともに噴き出しているようです。努力すれば報われる社会は好景気の頃でした。今はどんなに努力しても、リストラ、倒産、そして家庭崩壊等、生きづらい世の中です。しかも努力しても結果が出なければ努力とは呼ばない社会なのです。結果が出ない努力もこの社会にはあるのです。

あるプロ野球の投手がいっています。【ピンチの時内野手が集まって「がんばれ」と声をかけられると、俺は精一杯がんばっていると言ってやりたい】と。努力が報われる社会も大切ですが、努力を認める社会であれば、まだ救いがあり、よいと思うのですが・・・・

新制作座という劇団で一九五三年の初演より今もロングランの全国公演が続いている演劇で「泥かぶら」というのがあります。「泥かぶら」とは主人公の女の子のあだ名です。 《昔ある村に、みなしごの女の子がおりました。あまりにも身なりが汚く、顔も泥で汚れておりましたので村の子供たちがからかい「泥かぶら」と呼んで、唾を吐きかけたり、石を投げたりいじめておりました。しかしこの「泥かぶら」の女の子も負けず嫌いで気が強く、村の子供に仕返しをします。そうしますとますます孤立化してしまい、ひとりぼっちになってしまいます。

そして「自分はこれからどうしたらいいのか」夕日を見ながら悲しくなり考え込んでしまいます。そこに一人の僧が通りかかり次の言葉を与えます。 「三つのことを守れば村一番の美人になれる。それは自分の顔を恥じないこと、どんなときにもニッコリ笑うこと、そして他人の身になって思うことだ」と。

その後この「泥かぶらは」この約束を守り通して生きていきます。庄屋の子が父親の大事にしている茶器を割ったのを自分が割ったと助けてあげたり、ひと買いに売られる女の子の身代わりになったりと、犠牲的な行為をいやな顔ひとつせず為していきます。いよいよ都に売られて行く道すがら、何の屈託もなく「何を見ても素晴らしいし、何を食べてもおいしい」と無邪気にいう泥かぶらに、ひと買いの次郎兵衛はいたたまれなくなり、詫び状を残して逃げてしまいます。

その詫び状には『おまえのおかげで、私の体の中にあった仏心が目覚めた。泥かぶらよ、おまえは仏の子だ。幸せになってくれよ』とありました。このときから泥かぶらの泥は金泥に変じたと言うことです》

こんな「泥かぶら」に本当の美しさ優しさを思います。そして他人の心を突き動かすものが何であるのかを教えられることです。 今を精一杯生きる大切さ、そして尊さを思います。人間の感動の原点はこのようなことなのです。 仏の願いにそっと耳を傾けてみませんか。 


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