今月の法話 平成26年10月

手を合わせいただきます、尊いいのちにありがとう

近頃、めったに合掌して食事をいただくのを目にすることがなくなりました。以前でしたら外食の時でさえ、小さな子供が手を合わせていたのをほほえましくも、見ているこちらの方が子供に教えられる思いでありました。大人になるにしたがってテレなのか、忘れたのか、どこかにそんなことは追いやられているようであります。核家族化とか、家庭教育とか原因がどこなのかはわかりません。しかし世の中の全体的な風潮のような気がしてならないのです。

いま日本は空前のグルメブームです。世界中のあらゆるものがこの日本で食べることができます。食材ひとつとってみましても、(もっと、まだまだ、よりおいしく)でありましてきりがないくらいです。

ですからテレビ番組の中で食に関するものは、チャンネルを回せば必ずどこかの局で放送されているようです。しかしその取材の中でこんな言葉をよく耳にするのです。

私は耳障りになって仕方がないのですが、皆様はどうでしょうか。それは次の言葉です。 《お〜い、はやくこれを喰うぞ、あっちも喰うぞ》。この《喰う》と言う言葉を有名なスターの方々やレポーター、番組司会者が平然と使うのです。そのような人々はまず手を合わせていただくことは稀でありますね。

親鸞聖人の伝記の一つ『口伝抄』という書物に次のようなことが書かれてあります。 親鸞聖人が関東におられたころ、鎌倉の北条氏が多くの僧侶を招いて一切経を書写しておられました。その慰労に宴が開かれ多くの高僧の方々と共に聖人も同座しておりました。山海の珍味が多く出され、魚や鳥肉までもが出されました。多くの高僧の方々は袈裟を脱いで食事をいただきはじめました。その中で親鸞聖人のみが袈裟をとらずに食べ始めました。それをその席におられた開寿丸(後の北条時頼)がそのことに気づき、聖人の前に行って『あなたはどうして袈裟をおとりにならないのですか』とたずねられました。聖人は『あーそうでしたな、ついうっかり忘れておりました』と袈裟を脱がれていただかれました。

それからしばらくたちましてから、再び同じような宴が催されました。親鸞聖人は又袈裟をつけられて食事をいただいております。開寿丸は『子供だと思って馬鹿にしないで下さい。袈裟をあなただけつけられていただくのは深い理由があるのでしょう。どうか私に教えて下さい』とたずねられました。聖人はしばらくためらっておられましたが『本来なら生命の尊さを説く僧侶はいただけないのですが多くの他の生命をいただけなければ生きてはいけません。しかし魚や鳥肉を食べることの罪の深さは決して忘れてはならないことです。それでわたしはそのことを忘れないように念仏を申し、袈裟をつけていただいているのです』と答えられました。

私も食べることは皆様と一緒で大好きです。しかし私に食べられるために生きている鳥や豚や牛たちではありますまい。それを人間の勝手な権利として当然のように『喰らう』私たち。おおくの生命に『あやまる』私であり続けるのが仏教徒としての生活の基本であります。いつでもどこでも、『喰う』のではなく『いのちをいただく』マナー『いただきます』と大きな声で・・・


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