今月の法話 平成26年6月

水 空気、土、風 全てのいのちが 私を生かしてくれる

今でも世界中の先住民族と呼ばれる人々は自然からの恵みとしてその伝統性を守りながら生活していることが珍しくありません。自然と共に生まれ生活し、そして死んでいくことがすべてであり文化と呼ばれるものであります。この北海道でもアイヌ民族の人々も又アメリカのインディアンなどもそうでした。各地域でそれぞれの文化を持ち今のようなグローバルと呼ばれる世界よりも多元的であったと言えます。山の民族、海の民族、砂漠の民族それぞれが独自の文化を持っていました。しかし植民地政策や、侵略などの時代を経て西欧米流のものの考えが世界中を席巻しそのことに抵抗すれば滅ぼされ、受け入れますと自分たちの文化とか伝統とかの精神性が失われていきました。今でも日本で尊敬されているアフリカの当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされている、シュバイッアー博士ですが現地では「かって我々は豊かな土地を持っていた、今我々は聖書を持たされ、彼らが土地を持っている」とあまり良くは思われていなかったといわれます。私たちも原住民などという言葉からは未開の土地、文化程度が低い、生活も貧しいと直感的に思わされていると思います。

日本でもかって日本人が持っていた精神性、たとえば自然に対する畏怖などが失われ自然は征服するもの、克服するものとして、合理的精神を身につけてきました。そのことは非欧米的なものの考え方は非合理であり、未開であり、非文明であたるということになります。明治以降の日本は西欧列強に近づくことを目標にし、大戦までも経験し、戦後もアメリカ的生活にあこがれ進んできました。それが人間の進歩と信じ歩み続けました。それで良かったのかを問われているのがまさに「今」だと思うのです。西欧的なものの考えを否定しようとは思いません。しかしこの考えに多くの問題がわき出てきたようです。すべてが合理的な精神ではかられますと力の弱いものは価値がなくなりますし、便利さ、欲望の強さを肯定していく生き方になってしまいます。合理的精神は科学を信奉し、すべてのものを証明出来るものとしてとらえてきました。しかし現実に私たちの周りには説明できないことや、わからないことが多くあります。人智で説明できないことをある人は恐れおののき、ある人は感謝などをして生きてきました。この世界には矛盾しているものが存在しています。自然は私たちに多くの恵みを与えてくれますが、時には牙をむき襲いかかります。原発も同じような矛盾を抱えていると思います。

進歩ということは大切なことでしょう。しかし科学や、便利さは進歩してきたかもしれませんが人間そのものはどうなんでしょうか。株で大金を手にし「お金儲けの何が悪いのか」とうそぶくような金の奴隷になったり、ものに使われ、時間に追われ暇なく心忙しい日々、これが進歩だったのでしょうか。仏教の考え方は本来自然と人間の一体であったと思います。

「一切衆生」などという言葉は人間と他の動植物の区別はないのです。同じ生きるもの同士として対等の立場です。本当の人間の進歩とはこのようなものでしょう。
人間・・・・・・・強いもの・支配するもの・地球の王様
他の動植物・・・・食べられるもの・人間に奉仕するもの

このような考えを否定するところから合理・非合理を乗り越える仏教的な視野があります。


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