東日本大震災以降、日本人の多くが「いのち」について考えたことでしょう。
この三月十一日には、一周年の追悼の式典が開かれ、総理大臣等のお偉い方々が、「震災で亡くなられた方々の犠牲を無駄にしないためにも、人命を守るための防災設備に力を入れる」旨を表明されていました。
確かに防災によって、人命を守ることも大切なことではありますが、これだけでは寂しい気がします。
今の日本にあっては、どうも「いのち」は在って当たり前と思っている人が多いようです。
親鸞聖人の晩年に、日本全国を大飢饉と疫病が襲い、庶民から貴族に及ぶまで、大変に多くの人々が亡くなるという災害がありました。
この出来事について聖人は、現代語にすれば、「何をおいても、去年今年と老若男女を問わず、多くの人々が亡くなられたことは、本当に哀れなことです。ただし、何時どうなるか分からない命であるということは、御釈迦様がとっくに詳しくお説き下さっていることですから、決して驚くことではありません。」とお弟子の一人に御手紙を出されています。
私たちは、多くの人が亡くなる事件が起こるたびに、なぜこんなことが起こるのだ、なぜこれだけ多くの人々の命が奪われるのだ、と驚いてばかりいますが、聖人は「哀れなことではあるが、驚くことではない」とおっしゃられているのです。
つまり、私たちの「いのち」は無くて当たり前であって、今「いのち」在ることが驚きなのだということです。
在るはずのない「いのち」が、今在るという驚き。私たち一人ひとりの「いのち」は、日々の、一息一息の、一瞬一瞬の新しいものであり、尊く大切なものであると知れます。


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