私たちは、「分別を持った大人になりなさい。」とか、「大人なのだからもっと分別を持って行動しなさい。」と言うことがあります。
この「分別」を辞典で調べると、経験をつんで道理をわきまえること。その能力。(『講談社国語辞典』)社会人として求められる、理性的な判断。(『三省堂新明解国語辞典』)とありました。
これらの意味によっても、「分別」は、私たちが社会的に生きていく上で大切なことであり、また必要であることが分かります。
しかし、社会的に大切で必要な「分別」ですが、時として、他者を傷つける刃ともなることがあります。
私たちが万人共通の社会通念と思っているこの「分別」も、実は各人の思いの中で形成されており、各人がそれぞれ異なる分別を持っているのです。
もう少しいうなら、「分別」は、私たちの心のなかにある区別・差別の思いから現れてくるものと申し上げてもよいでしょう。
それに気付かず、他者に自分の「分別」から言葉を発したとき、その何気ない一言が、知らないうちに相手の心を深く傷つけてしまうことが、実際にはよくあることなのです。
そういう私たちの姿を知り尽くした上に、無分別を以って現れた「南無阿弥陀仏」というたった一言で、必ず救うと働く如来の慈悲があります。
慈悲は区別・差別のない心であると同時に、それは全てのものの苦しみを自分一人が引き受け、安らぎ与える働きです。
その慈悲の心から発せられた一言だけが、本当に私たちを救う働きとしてあるのです。


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