指に関連する言葉に「指を差す」、「指一本も差させない」という慣用句があります。相手に非がある場合や自分に非は全くない時に使われます。数年前、国会中継の時、たくさんの議員が閣僚に向かって人差し指を突きつけて非難している光景を観ました。そこで責めている議員の顔は、青筋立ててる人もいれば真っ赤にしている人もいました。顔色を変えて相手を責めている姿は、まるで地獄の鬼にようにも見えます。責めている本人は、全く“責めている自分の姿を知らない”ものであります。夫婦喧嘩をしている時の自分の顔も鏡がないかぎり分からないものです。
極楽浄土を説いた経典『仏説阿弥陀経』には、共命鳥(ぐみょうちょう)という珍しい鳥がいます。この鳥は足や羽・胴体まで1つですが、首から頭が2つあるそうです。その「共命鳥」について、次のようなお話があります。
 昔、ある森に1羽の共命鳥が住んでおりました。一身双頭で性格も考えていることも別々ですが、2頭はとても仲がよくて毎日きれいな鳴き声を森の仲間たちに聞かせて楽しく暮らしていました。
 そんなある日、森の動物たちの間で、一体どちらの鳴き声の方が美しいのだろうかと話題になりました。それを聞いた2頭は、お互いが「自分の方が美しい!」と言い争いを始めました。 頭は2つですが、身体は1つなので、離れたくても離れることができず、争いはどんどんとエスカレートしていき、お互いがお互いを憎しみ合うようになりました。そんなある日、片方の頭が「あいつが、この世からいなくなれば、自分は一番になれる」と考え、相手に気づかれないようにエサに毒を混ぜて片方に食べさせました。やがて毒は回り相手の苦しむ顔を見ながら「これで自分が一番になれる」と微笑んだ瞬間、自分自身も同じように苦しくなってきて、そのまま両方とも死んでしまったというお話です。
 私たちは自己中心に物事を見ているため、いままで親しくしている人が自分にとって都合が悪くなると憎たらしい存在に変わります。そして、共命鳥のように他者の存在が邪魔になり他者を排除します。同時多発テロ、アフガニスタンやイラクへの武力攻撃に象徴される戦争は、他国を滅ぼし自国も滅ぼしてしまう方向に向かっているのではないでしょうか。共命鳥は極楽浄土だけの話ではなく、私と他者−すなわち家族、地域、民族、人種、宗教、国同士−との関係を教えてくれています。それは“共なるいのちを生きている鏡”の役割でもあると思います。私と他者は、お互いに手を取って助け合わないと生きていけない存在であり、憎しみと報復では破壊を生みます。そして、お互いが助け合う関係になるには、他者を尊重することを忘れずに、他者のことを理解する努力を続けていかなくてはなりません。また、他者からの助言は、厳しくても“私と私の生きる社会を映す鏡”となるのではないでしょうか。共命鳥を思う時、他者の声に耳を傾ける謙虚な態度とこころを忘れてはならないと強く思うところであります。


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