幼い子どもさんを亡くされた方がいらっしゃいました。むずかしい病気だったのか、原因もわからず、治療法もよくわからず、医師と両親とが、子どものために悪戦苦闘の努力を続けた結果は、「死」だったのです。
 幼い子どもさんですから、病状を適切に訴えることもできず、「痛い、痛い」と訴えるだけだったといいます。どこが痛いのかと問うても、おなかをさしたり、頭をさしたり、そのときどきでめまぐるしく変わり、本当につらいのはどこなのだろうとお母さんは途方にくれるばかりでした。一日二十四時間点滴につながりむずがる子どもに何をしてやることもできず、無力感に陥るばかりのお母さんでした。固く冷たいベット下で寝泊まりしながら看病し続け、願うのは子どもの回復だけだったと、しみじみと述懐したことがありました。
 主治医は考えられる限りの治療を試みてくださったようでした。ところが一向に良くならず、治療法が変わったことでかえって苦しむことになったこともありました。母親の心にひとつの疑念が起こりました。
 「先生を頼りにしているのに、お医者さんは私の子どもを実験材料にしているだけなのではないかしら」
 そう思うと医師や看護師のすること、言うことのすべてが不審に思われてきて、そのことで苦しんだ時期もあったと話されたことがありました。湧き起こってくるさまざまな思いやできごとに苛まれ不安に包まれながらも、ひとすじに願っていたのは、病気が治り元気になった子どもを抱いて家に帰ることだけでした。しかし、結果は無惨なものでした。医師の解剖させてほしいという願いを拒否し、遺体となってしまった子どもと共に両親は家路に着きました。そして、茫然自失のなかで町内会の人びとの世話によって表面的には葬儀が滞りなく♂cまれたのですが、去来していた母の思いは嵐のようであったといいます。親に襲ってきた苦難は、当然のことながらこれで終わることはありませんでした。
 まず母は子どもの死を受け容れることができませんでした。弔問に訪れた人から遺族といわれることに強く抗議している場面に出会ったことがありました。遺族ではなく、家族なのだというのです。大切なひとを失った方の心のひだに、こういう思いがあったのだと初めて知らされました。
 やがて、お母さんは自分自身を責めるようになりました。子どもが病気になったのは親である私が悪いというのです。
 「病状がでる前に、きっと何かのきざしがあったはずなのに気づけなかったのは私のせい」「つらかっただろうに、なんにもしてあげられなかったダメな母親です」
 「子どもを殺しているのに、おなかがすいてくる私を腹立たしくなるんです。情けない親です。恥ずかしいです。」
 さらに苦難は続きました。我が子を失った悲しみをめぐって、両親がぶつかるようになってしまいました。父親はいつまでも悲嘆にくれる妻を責めるようになりました。最後は離婚という結末に至ってしまい、ひとりぼっちになった寂しさを抱えて、真っ暗闇を歩くことになったのです。そのとき一通の手紙が届けられました。
 「如来、苦悩のわれと共にあり。われありてこそ如来おわしますなり。」
 このことばに触発されて、厳しい聞法の生活が始まりました。
 「あの出口のない闇を歩かなければ、私は仏法に出遇えませんでした。闇がそのまま光だったんですね」
 遠いところを眺めるように、お母さんが呟かれました。


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