入院していたときのことでした。どういう訳か、足がけだるいというのか、何ともいえない気持ちの悪さに襲われて呻吟していました。痛いという訴えには、それなりの処方もあるのでしょうが、足のつけ根から切ってしまいたいほどけだるくて辛いとの訴えに、主治医はどんな風にけだるいのかと尋ねてはくれても、それを治す処方はしてくれませんでした。そういう症状が出てつくづく痛感したのは、体に感じられる症状を相手に伝える語彙は、意外に少なく、また難しいということでした。痛さでも、どのように痛いのかを伝えるのは案外難しいものです。
 「一番痛いのを十としたら、いまの痛さは七ですか、それとも八くらいですか?」
 痛みの程度を看護士さんからこういう言い方で尋ねられました。「一番痛いのを十としたら・・・」と言われても、何を十とするのかと考えると訳がわからなくなってしまいました。(手足をもぎ取られるほどの痛みを十としたらいいのだろうか?それとも・・・)などと心の中で思いをめぐらせてはみても、適確に痛みの程度を伝えることばがなかなかみつけることができませんでした。
 ところが痛みよりも、もっと伝えにくかったのがだるさでした。足をベッドに何度も叩きつけてみましたが、だるさは変わりません。鉛でも入れられたようなだるさ、けだるさのためか吐き気までしているのですが、体に感じているだるさの症状を上手に伝えることばが見つかりません。伝えられない焦燥感とわかってもらえていない失望感に嘖められて、暗い病室のベッドで幾晩も涙を流しました。言い知れぬ孤独感が心のなかに広がってきて、それは止めようもないものに思えたりもしていました。
 「このつらさは、誰にもわかってもらえない」
 そんな思いがなお一層、闇を広げるようでありました。けれども一方では、足のだるさ程度でめげている私自身に実はめげてもいたのでした。
 「心頭滅却すれば、火もまた涼し」
 こんなことばを遺した禅僧がうらめしく思えていました。熱いものは、どうしたって熱いんだ!そう叫びたい気持ちでした。
 そんなときのことでした。ご門徒の女性がお見舞いに来てくださいました。
 「おつらいでしょう?」
 症状のことはほとんど尋ねず、私の症状を案ずることばを何度か言われました。そして、ふとんの中にすっと手を入れて、だまって私の足をもんでくださったのです。手術をして風呂にも入れないときでしたから、足も決してきれいとはいえず、私は恐縮していました。
 「病気をすると足がだるくて仕方ないものですものね。主人もよく足がだるいと訴えていました」
 そう言いながらもんだり、さすったりしてくださるところは、私がつらいと感じているところをはずしていません。
 「こうやってこの方は夫に寄り添い、見送ったのだなぁ」
 ご夫婦の想い出話を聞きながら、私は何ともいえない温かさに包まれていました。そして、この世での別れはしているにも拘わらず、なおこの方に寄り添っている伴侶のお姿が見えるように思えてなりませんでした。
 「いまも一緒だよ」
 そう喚んでいる伴侶の声を力にしてこの方は生きている―そう思えたときに、焦燥と孤独の淵から脱け出している私自身に、ハッと気づかされたのでした。


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