これまで歩んできた人生を振り返って、すべてが楽しいことばかりであったと思えるひとはまれなのではないでしょうか。順風満帆な人生を歩んでいるように見えるひとでも、心の内を聞かせていただいたら、ビュービューと冷たい風が吹き荒れているということもよくあることです。できることであれば、嬉しいこと、楽しいことだけの人生であってほしいと願うのが人情というものかも知れません。
 けれども、仮に何の問題も起こらず、楽しいこと、嬉しいはずのことばかりに囲まれて生きていたとして、その人が幸福に思っているかというと、不思議にそうでもありません。
 「尊となく卑となく、貧となく富となく、少長・男女ともに銭財を憂ふ。有無同然にして、憂思まさに等し。屏営として愁苦し、念を累ね、慮を積みて、(欲)心のために走り使はれて、安き時あることなし。田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ」 (『仏説無量寿経』巻下)
 問題があって苦しむのではなく、みずからが問題を作って苦悩していくのだと釈尊は示されたのでした。けれども、「問題」の中で苦悩している真っ只中で、その問題をみずからが作っているとは思えないのが私たちでもあります。
 鳥取県に足利源左さんという方がおられました。幕末から昭和のはじめまで生きられ、妙好人と慕われた方でした。お寺参りの帰りに、草のはえた田圃を見て源左さんは田圃の中に入って草むしりを始めました。通りがかったひとが源左さんに声をかけます。
 「源左さん。そこはあんたの田圃じゃなかろう」
 源左さんは答えました。
 「おらの田圃、他人の田圃と小さなこと言うなや。如来さんの目から見たら、みんなかわいい田圃じゃろう」
 「ようこそ ようこそ」が口癖であったと伝えられていますが、源左さんは生涯に二度も火災で家を失っています。火事見舞にかけつけた手次寺のご住職に源左さんは言われました。
 「如来さんがお浄土を用意しているのは、わしのためであったとようようわからせてもらいました。ナンマンダブ ナンマンダブ」
 「目が変わる。心が変わる。世界が変わる」といわれたひとがおりますが、お念仏の教えによって見事に視点がかえられたのでありましょう。
 幼くして親に捨てられて、親戚をたらい回しにされながら育った人がいます。どこにいるか行方のわからない親を呪い、憎み続けていました。ところが、ある日突然役所から連絡が入りました。明日をも知れぬ危篤状態で、母親が見つかったと。万が一のときにも引き取り手がいないので、病院でも困っているという話を聞かされたのです。初め彼はすべてを拒絶しました。
 「私にとって、そのひとは母でも何でもありません。どうぞご自由に・・・」
 それでも彼は二日後に病院にかけつけました。ベッドに力なく横たわっている母親はまだ意識を失っていませんでした。
 「お母さん。ぼく息子の○○だよ」
 「ごめんね。ごめんね。許してなんて言えないけれど、こんなに立派に育ってうれしい。あなたを捨てて、ごめんなさいね」
 母親は謝り続けたと聞きました。
 「母に会った瞬間に恨みは消えました。母に会って、初めて母もどんなにつらい思いをしていたかと知ることができました。生きているうちに会えて、母の名をよぶことができたことをうれしく思っています。私をこの世に出してくれた親ですから」
 逆境や苦悩さえもが私を育ててくださる宝ものであったと知らされる世界、それがお念仏の世界であります。


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