Yさんというとても元気な方がおりました。その方のお母さんは仏法聴聞にいそしみ、阿弥陀如来のご恩の深さを喜び、常に称名の絶えることのなかった方でした。かなり体が不自由になられてもお寺の法座に熱心に足を運んでくださっていました。
 「子どもたちにお念仏のありがたさ、尊さを伝えたい」
 晩年にはそれが口癖のようになっておりました。長命を保たれましたが、遂に臨終のときを迎えました。臨終勤行に伺って、母親の願いとして並々ならぬ情熱をもって、子どもさん方にお念仏の教えを伝えようとしていたことを知りました。臨終勤行は、子どもたちをはじめ親族の高らかなお念仏の声の中で始まり、そして終えることができました。
 葬儀をはじめ、そのあとの仏事のときにも子どもさん達は、仏法聴聞に熱心で口にお念仏を絶やすことのなかった母親を懐かしそうに語っておりました。何よりも、「お母さん」のもっていた温かさが、子ども達に伝わって心のなかで燃え続けているようでした。けれども、そのような中で皆の話の中にも入らず、お念仏を称えることもせずに浮いたように思えるひとがおりました。それは、その家の長男でした。どのような確執があったものか、虚ろというよりは反発心が見えるような表情で斜にかまえて座っているのでした。他の弟や姉妹が母親から教わった仏法のことを話しているときにも、「ふん」という顔つきで、その話の腰を折ってしまいます。
 「困ったひとだなぁ」
 正直、私は心のなかでそう思っていました。その後、月命日のお参りに伺っても、この方はお内仏の前に座って私と一緒にお参りすることはありませんでした。
 「仏壇のところに御布施、置いてますから持って行ってください」
 そんなことばを言われて、ひとりお内仏の前に座る私の心には虚しさばかりが拡がるのでした。
 ところがこの方は、母親の三回忌法要をすませた直後に病に倒れてしまいました。そして、あっという間に最期を迎えました。亡くなってお参りに伺ったときに、この方の姉や弟が最期の様子を教えてくださいました。激痛の断末魔だったと弟さんが言いました。
 「如来さまにおまかせするより他にないんだよ。死ぬも生きるも、全部如来さまにまかせてお念仏申そうね。私がそう言ったら、二度ほどうなずいてくれたように思います」
 長女がそう言って目頭を押さえました。続いて弟さんが言われました。
 「兄貴。ここまで来てジタバタするな。如来さんにおまかせして念仏申せ。そう言ったら、口を動かしてくれました。もう声も出なくなっていましたので、お念仏の声にならなかったけれど、兄はきっとお念仏を称えていたのだと思います」
 聞きながら、私にはその最期の場景が見えるように思いました。最期の場面で、逝くひとに向かって私たちは言えるでしょうか。
 「如来さまにすべてをまかせて念仏申せ」
 と。でも、この方は声に称える力を既に失っていました。
 では、お念仏を申すことのできなかったこの方は救われていかないのでしょうか。
 「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」 (『歎異抄』)
 たとえギリギリの場に立たされていたとしても、「ああ、そうであったか」とうなずく中に救いの世界がひらかれてきます。決して手遅れにならない教えが、お念仏であります。


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