いまでは想像もつかないことですが、この日本にも食糧難の時代がありました。特に昭和十年代から二十年代にかけて、国民の生活は窮乏し、栄養失調の子どもたちが巷にあふれていました。ひと一人が生きるのが大変な時代を、私たちの先人は潜り抜けてきました。私はその時代の雰囲気をかすかに記憶にとどめています。栄養失調で生まれてきたせいか、幼いときの食べものに対する執着は、我ながらすさまじかったことを想い出します。戦争中は、「ほしがりません。勝つまでは!」と戦意を鼓舞されて、やせ我慢の格好をしなければならなかった国民も、敗戦と共に我先にと恥も外聞もなく、食糧に群がっていきました。
 子どもたちは青っ洟をたらし、洟を拭いた跡でカパカパになった袖口の服を着て、眼はランランと輝かせて生きていました。
 「腹一杯、ご飯を食べたい」
 「甘いものをたくさん食べてみたい」
 思えば、大人も子どもも「食べること」を目標にして、あの時代を生き抜いてきたのでありましょう。徐々に食べものが出回るようになり、現代は飽食の時代とまでいわれるようになっています。お金さえ出せば、どんな美味しいものも手に入れることができるようになりました。
 美味しいものをいただいて、私たちは幸福感を味わっているでしょうか。
 「腹一杯食べることができれば、幸福の極みだ」
 そう思っていた時代が、懐かしく思われてきます。戦後、飛躍的に豊かになってくる中で、私たちは「手に入れる」目標を次々に変えて、頑張ってきました。頑張ることができたのは、それを手に入れることができたら、幸福になるのだという思い込みがあったからではないでしょうか。
 「三種の神器」などと、家電製品などがもてはやされた時代もありました。そして、いまは、どうでしょうか。お金やモノへの執着は、とどまるところを知らないようでもあります。ひとの生命さえも、お金と引き換えにしようという時代を私たちは生きています。
 しかし、それがいまに始まったことではないことを知らされます。
 「世に人、薄俗にしてともに不急の事を諍ふ。この歔悪極苦のなかにして、身の営務を勤めてもってみづから救済す。尊となく卑となく、貧となく富となく、少長・男女ともに銭財を憂ふ。有無同然にして、憂思まさに等し」(『仏説無量寿経』)
 有無同然ということばが、心に迫ってきます。有っても無くても、憂いは同じだというのです。
 「欲心のために走り使はれて、安き時あることなし。田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ・・・・田なければ、また憂へて田あらんことを欲ふ。宅なければまた憂へて宅あらんことを欲ふ・・・たまたま一つあればまた一つ少け、これあればこれを少く。斉等にあらんと思ふ」
(『仏説無量寿経』)
 『三丁目の夕日』というコミックが団塊の世代の人びとを中心に読まれているといわれます。高度経済成長で未来に何かしらの明るさを感じ、地域共同体が崩壊していなかった昭和三十年代を、懐かしむコミックです。あの時代に、仕合わせがあったという訳です。
 しかし、幸福は未来や過去にあるものではありません。いまにある〜そのことを示し続けてきたものこそ、仏教です。


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